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| 【鎮座地】兵庫県丹波市氷上町成松二七七番地内 |
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| 成松蛭子神社殿 |
成松蛭子神社祭りの様子 |
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一、成松蛭子神社の歴史
成松の町の中央に海抜百六十八メートルの小高い山があり、古くは高岡山と言う。
平安末期、後三条・白河天皇時代、の学者 正二位権中納言大江(おおえの)匡房(まさふさ)の歌に
たかおかに 群れゐる人も
諸ともに 千代を契りし わかなをぞつむ
戦国末期、近江の国甲賀の士が一時この地に移り砦を構えてから甲賀山と呼ぶようになったと言われている。その山麓一帯が公園と神域となっており氏神である大護神社を中心に、蛭子神社、愛宕神社、八幡神社、稲荷神社が在る。中でも蛭子神社はその中心場所に位置し、玉垣に囲まれた、威風堂々のお社である。明治二十二年西宮大神宮の分霊として奉祀された。明治三十三年御分霊十年祭、明治四十三年二十年祭と、商業地としての成松商店街の発展と共に、御神徳を慕うもの増加し、浄賽寄進によって社殿の改修、境内の拡張を行った。昭和四年四十年祭には、時の西宮神社宮司吉井良晃氏による御歌を戴き、
移しかえて はやも四十ぢに 成松の
かゆる色も 見えてたのし母
と、寄進の碑を建立した。
大鳥居の扁額「蛭子神社」は、明治神宮初代宮司一戸(いちのへ)兵衛(ひょうえ)氏謹書によるものである。
社殿の改築に当たっての用材は木曽御料林附檜材を以て、工費二万五千円を要した。
「成松蛭子祭り」は毎年西宮えびす祭りより一ヶ月遅れの二月九日を宵宮、二月十日を本宮として行われる。一ヶ月遅れの理由は諸説が有るが、当地は寒冷であること、年末には誓文払いがあり商家にとって日が接近していること等によるとされている。
祭礼は商売繁盛、家内安全を願う神事の他「福娘」による、神札、吉兆の頒布、福もちまき、福うどんの振る舞い等、商工会協賛のもとに春の訪れを感じさせる行事として近郷からの参拝者も多く、又地元保育園児、幼稚園児、小学生の見学参加等で、境内あふれるばかりの人出となり終日賑わう。平成十年二月には、遷宮百十年祭を執り行った。
二、 成松の昔と今
兵庫県は南は瀬戸内海、北は日本海に接している。丹波市氷上町成松は、そのほぼ中央に位置している。
太古、成松付近は湖沼であったと考えられている。長い間の地殻変動で、湖底は上昇し干し上がり、丹波盆地が形成された。成松の南東約3キロに水(み)分れ(わかれ)と言う地名がある。海抜95メートルの日本一低い分水界である。南へは加古川水系となり瀬戸内海へ、北へは由良川水系となり日本海に注ぐ。
この地域に人々が住み始めたのは六、七世紀と言われているが、このように水陸交通の要衝でもあったので、交易市場としての街道集落の発生が成松の基を築いたと考えられる。加古川を利用した水運が盛んで、遠く播州、高砂、大阪あたりとも交易が行われていた。近郷には大きな船座があり、物資の輸送がなされた。近郷からの米穀、薪炭、畑作物、手織り布などの販売と、海産物、塩、日用品、鍬、鎌などの鍛冶品等、農商共栄の市場が展開され商業地としての成松の基盤が築かれた。村も葛野庄柿芝村から元禄八年柿芝町と独立し、明治二十二年成松村柿芝と称し、これは西宮大神宮の分霊として成松蛭子神社が奉祀された年でもある。大正元年には町制を実施し成松町と改称された。戦後道路の拡張や舗装などにより商店の数も増えて、成松全域にわたって商業の町として活況を呈した。近年は、流通競争の激化、交通体系の変化等商店街の賑わいは遠のきつつあるが、恵まれた自然環境による、丹波の里山、水と杜のさと氷上、健康と教育の町として、住みよい地域づくりが展開されている。
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平成十八年十月
成松蛭子神社
氏子総代 代表 村上 哲夫
兵庫県丹波市氷上町成松二七七番地四
氏子総代一同
足立一彦
足立唯夫
谷垣忠春
田辺覚
成松連合区長 橋 義治 |
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