【鎮座地】宮城県本吉郡南三陸町志津川字天王山 宮司 工藤 祐允 氏


 私のご奉仕する西宮神社は三陸海岸景勝の地、南三陸町志津川の町が一望できる東山の高台にあります。下は公園になっていて、明治三十三年五月十日の皇太子明宮嘉仁殿下(大正天皇)御結婚奉祝記念事業として造られました。

 祭典は春は四月二十日、秋は十月二十日、恵比寿講の講員さんが中心になって斎行されます。神社での祭典が終わると講員の当前さんの家で神事があり、次期当前さんへの受取り渡しの式が行われます。神棚の前に事代主大神、大国主大神のお軸を掛け、机の正面に宮形に入った一寸五分程の金の恵比寿、大国の御神像を祀り、その前に本幣と称している三本立ての幣を置き、神饌は二重の餅、御神酒の入った一対の瓶子、腹合わせの二尾の魚、塩、水、一椀の「おぼき」と称されるご飯です。受け取り渡しの式は講長さんが中を取り持ち、送り当前と受け当前が間にお盆に載せた御幣を置き、謡曲「四海波」で始まります。

 一番を唱和して、講長さんが両人と自分の前にある平瓦(杯)に御神酒を注ぎ、口を付けます。二番を唱和し御神酒を飲み干します。御幣の向きを変えて、平瓦を交換し、講長さんが御神酒を注ぎ、三番を唱和し御神酒を飲み干します。その後で、講長さんが神饌の水器に塩を入れ、「お火を上げます」と唱え、火を付けた二本のマッチ棒を入れ講員は一拍します。続いて神饌のおぼきを講員が一口ずつ頂き、御神酒を頂いて式は終わり、場所を変えて直会をします。

 この御神像には謂われがあって、次々と他の地方の家の手に渡り、この家は家運が傾いたと伝えられ、各地を経て、再び志津川の山本家に勧請安置されました。山本家が仙台に移住するに至り、志津川本浜町の漁師仲間で恵比寿講を創設、御神像を拝受し、大正七年十月二十日、東山の西宮神社に合祀され、川村家が別当として神社を護持してきました。

 平成二十二年六月、御本社の吉井良昭宮司様が東北の各地の恵比寿講を調査に来られ、二十四日、志津川にお見えになり、別当川村家に残されている古文書や御本社の御札頒布認許状等をご覧になられました。その時、この御神像の経緯を講長さんがお話申し上げましたところ、吉井宮司様から、神様は「和御魂」(柔和な徳を備えた神霊)と「荒御魂」(荒く猛き神霊)をお持ちですから、各地の家に安置された時は「荒御魂」になり、志津川に戻った時から「和御魂」になったのでしょうと貴重なお話を聴かせていただきました。

 恵比寿講が結成されてから九十有余年の長きに亘って受け継いで来られた先人に感謝するとともに、これからの護持に努めたいと思います。


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