【鎮座地】奈良県吉野郡下市町大字下市 桶谷 忠博 氏

 蛭子神社
 (吉野郡下市町大字下市)本町の管理
 下市町を南北に貫流している秋の川の畔、本町(浦町)に鎮座せられ、現今本町の住人で祭神事代主命であると称するのは社名より察すると蛭子命であり、事代主命と蛭子命とを混同し伝承せられたものかと考えられる。(「内務省神札明細帳」には蛭子命と明記されている。)

 同社は戎社の総本社である西宮神社(西宮市)より分霊を受け当地に勧請鎮座せられたと考えられ、俗称いわゆる戎神とはこの蛭子命であり、由来商業の神として霊験あらたかである。すなわち下市の市場(往古は六斉の市と称した)が隆盛になり市の繁栄を祈願する村人の心の結集が戎神の奉斎となったものであろう。

 下市札
 下市町は吉野郡の主邑であり、その関門に当り、往古より奥地との交流は極めて頻繁で物資集散の好適地であった。このため売買交易の法は他地方より早く開け、市場の取引は誠に盛んであった。俗謡にも「山家なれど下市は都大阪商人の津でござる」と歌われていたように、その盛時の伏が偲ばれる。現今二月十二日に行われている初市と称する戎祭は、昔の市の名残であって昔時は月二・七を市場日とし月に六回の市が行なわれていた。即ち六斎の市と称せられ遠近の商人相集まり頗る段賑を極めていた。当地方は地勢険峻であり銭貨の持運びは誠に不便であったので、村内在住の有福の商人が銀目を紙に書きつけて之を「切手」と名付けて発行し始めた。これがいわゆる「下市札」と称せられ、手形流通の嚆矢であると言われる。

 初市
 蛭子宮(惠比須神社)の祭礼と共に開かれる初市は、下市の年中行事中最大のものであると共に又親しみも深く、奈良県下においても稀に見る盛大な祭事として知られている。

 二月十一日 宵宮祭(前後祭) = ご神火祭典
 二月十二日 本宮祭 = 子供みこし十台
                 大抽選会
 二月十三日 後宮祭 = 午後三時より

 初市は前日の十一日の宵宮祭の夕刻、西宮神社の御神火を奉じて蛭子神社に到着しこれを神前に点火せられてから始まる。

 これは昭和二十九年より新しい試みの儀式として加えられ、本町子供会の御輿により千石橋南詰よりご神火を松明に点火して中吉野警察の応援により蛭子神社総代、子供会の皆さんがハッピ姿で蛭子神社に向う。本町区長〜下市区長会長〜下市町長〜蛭子神社総代代表〜神主様にと厳かにご神火をお迎えして、その意義を一層深めている。神前には数々のお供え物が供えられ大小の鏡餅と山の物、海の物、清酒と一〇〇以上に及びその壮観さは県下一となされている。

 本宮祭においては子供みこし一〇台神社付近の町がチンドン屋の音にあわせて参加している。人出は一万五千〜二万人で露天商は一七〇軒出店している。また下市商工会の地場物産品、朝市の新鮮野菜市、また十三日の後宮祭後にはご神火は神主様の拝礼後古いお札に点火させていただいております。

 初市の実行委員会の人達も高齢化が進み、組織の見直しが必要になってきた。※一部下市町史より抜粋

下市蛭子神社由来
 祭神は蛭子命で社名を蛭子神社と称する。下市秋野川右岸本町(浦町)に鎮座せられ商業の神として霊験あらたかで多くの人々の信仰があり、例祭は二月十二日で例祭の前後三日間「初市」と称し、往年の市の名残で大変な賑わいである。

 戎信仰が広まったのは鎌倉時代で、当地に奉祀されたのは室町末期と思われる。文久三年九月夜、天誅組の放火により焼失し、本殿・拝殿・神門は明治二年再建による。昭和六年に大修繕を行い現在に至る。

 境内末社として右に稲荷神社、滝姫大明神、左に金比羅神社、金山彦命がある。神社境内北側に六百年を超える桜があったが昭和五十年代に枯れ、現在本殿の額にその一部を保存している。

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